パフォーマンスで有名なテーマパーク清掃の思い出。
Q、テーマパーク時代のお仕事内容を教えて下さい。
A、私は開業前年の入社でオープンして3年弱で退職してしまったので、もう遠い記憶ですね。私の仕事は24時間体制のパークの清掃部門を担当していました。配属先が決まった時は、何故、清掃部門?と思いましたし、同期がキラキラしたコスチュームを着て、お客さまと相対している姿をみたときは悔しい思いもしました。
主な開園時の業務は、園内の掃き掃除、ゴミ箱のゴミ収集、トイレ清掃、ファーストフード店のバッシング業務などをチーム担当制で多岐にわたって行っておりました。掃き掃除チームの時ですが、人気アトラクションを待つ長蛇のお客様の中に入り、アトラクション入口まで約2時間かけて掃除したこともありました。潰れたポップコーンは掃きづらかったですね。
Q、清掃部門とはあのパフォーマンスで有名な部署ですか?結構面白そうですけどね。
A、いかに早く獲物(ゴミ)を見つけ、ほうきで掃くのではなく、弾いてチリトリに入れるか、その入れ方が見せ所でした。でもイケイケの若者が、レストルーム(トイレ)の便器に手を突っ込んで洗ったり、汚れたゴミ箱を拭きあげたり、恐らく、他部門からは「汚い仕事をする部署」と思われていると勝手に思っていましたし、やっぱり雰囲気もそうでしたよ。
Q、そうだったのですか。当時の状況はどうだったのですか?
A、あの頃のゴミの量は今とは比較にならないくらい多かったですね。パークの至る所に、ゴミ、吸い殻、ポップコーン、汚物等々、お客さまがどんどんゴミを捨ててくれましたので・・・。最近は、ご時世でもあるでしょうが、お客さんは捨てなくなくなりましたね。これは大きな違いですね。当時はゴミとの戦いでしたから。だから、私たちの掃き掃除の技術は高かったし、それは芸術的だったと自慢できますよ。 でも、やはり当時の「清掃業務」と云えば、高齢者の方々の専門分野でしたから、20歳前後の自分が「どうして?」と思いは常にありました。
Q、仕事に関して心境の変化などはありましたか?
A、その気持ちが変わって、清掃の仕事を「誇り」というか、やっていてよかった。と思ったのは、初年度の冬に大雪が降りまして「明日は 開園できない」と云われたときに、命令ではありましたが全員がオールナイトで降り積もる雪の中、お客さまが歩く「道」をつくって開園できたこと、それが「メディア」を通じて絶賛されたこと、同期含め、他部門のスタッフが我々を無くてはならない必要な部署と認めてくれたことだったと思います。(おかげで風邪を引き寝込んだスタッフもいましたが‥)
Q、仕事で得た教訓はありますか?
A、人間、認められと変わるもんですね。「モノや場所をキレイにするのに年齢は関係ない」と思え、その後の仕事(清掃)は楽しくなりましたし、若いときに清掃の大事さを学べたことは貴重な経験になったと思います。「四角い部屋を丸く掃除しないこと」「如何に効率よくきれいにできるかの段取り」は清掃以外でも役に立っています。その経験や技術を活かして、ホテルの客室清掃業務にも就いたこともあります。
Q、ホテルの清掃業務に関してご意見はありますか?
A、チェックアウトからチェックインまでの短い時間に、ひとり十数室(技術力、経験や部屋の広さ等で異なる)の客室を担当し、しかもクオリティの高い部屋に仕上げなければいけない。不備がなくて当たり前、まさしく時間との闘いでしたね。それを毎日、仕上げるメイドさんには頭が上がらないし、思うのは「感謝」の気持ちだけですよ。個人の見解ですが、もう少し、メイドさんの立場を見直してもらったらいいな。とは今でも思います。
Q、ありがとうございました。
補足:
掃除ひとつできないような人間だったら、何もできない。
皆さんは、“そんなことはもう、三つ子の時分から知っている”と思うかもしれないが、ほんとうは掃除を完全にするということは、一大事業です。
――1980年6月2日 松下幸之助